京都民医連、民医労、共同組織、共済会「新春のつどい」であいさつ

2021年01月11日

 

報告です。9日、リモートで、京都民医連、民医労、共同組織、共済会の「新春のつどい」が開催され、来賓として、あいさつしました。

 

 

京都民医連の事務局の方にお聞きすると、開会時は380人ほどがリモートで視聴されたとのこと。

私は、コロナ禍の中、奮闘されている医療関係者のみなさんへのご苦労に思いを馳せ、民医連の歴史・原点に立ち戻って、改めてその役割を発揮されるよう呼びかけました。

 

 

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以下、私のあいさつの大要です。

 

 

みなさん。合同主催の「新春のつどい」おめでとうございます。コロナ危機の下、医療現場におけるご奮闘に感謝いたします。言葉では言い尽くせないご努力に、心から敬意を表します。

第一に、いま、民医連の活動に全国的注目が寄せられています。NHKの「クローズアップ現代+」では、「病院、我慢します~コロナ禍で増える“メディカル・プア”~」として、民医連の「無料低額診療」を特集。また、「しんぶん赤旗日曜版」には、京都民医連中央病院看護師さんが登場し、明るい話題を提供していただきました。

振り返りますと、1930年、民医連の前身である「大崎無産者診療所」が創立されました。この歴史に思いを馳せつつ、今日の時代を見る必要があります。

私は、90周年を記念して発行された全日本民連の『無差別・平等の医療をめざして』を改めて拝読しました。

ここには、山宣こと山本宣治氏、九条診療所の山本勇治先生の祖父ですが、この山宣と無産者診療所のお話が出てまいります。
国会で治安維持法に反対し、1929年、右翼の凶刃に倒れた山宣の通夜の席上で、その死を悼み「山宣記念病院」をつくることが提案され、同年3月15日に「労働者農民の病院を作れ!」のアピールがあげられたとあります。そこには、「我々は病気になっても金がないため、医師の診察を受けることを躊躇し病人を危篤に陥れた。保証金がないため入院を拒絶される。我々の病気を治すために我々自身の病院を持たねばならぬ」とあります。

そこで、今日の時代認識と問われる政治の選択とは何かです。学術会議任命拒否問題は、学問・思想・信条の自由を奪うものであり、政府の気に入らない者を排除し、全体主義の道へ階段を上ることになります。まさに、今、「全体主義の道か、民主主義の道かの選択」の時を迎えています。1928年3月15日には、日本共産党への大弾圧が行われ、1931年には柳条湖事件、いわゆる「満州事変」へと突入します。そして、1933年、大学の自治、学問の自由を侵害する「滝川事件」、小林多喜二虐殺へとつながるわけです。

そこで、「民医連綱領」の旗を今こそ高く掲げ、協力して、ともに新しい政治の実現に挑戦しようということを呼びかけたいわけです。

みなさんの61年の綱領は、「つねに学問の自由を尊重し」と強調し、このことは、2010年の綱領にも引き継がれ、「戦争政策に反対し、核兵器をなくし、平和と環境を守る」と謳っています。

いまこそ、憲法を土台に、ケアを大切にする社会をつくりましょう。それは、公衆衛生、医療、社会保障を蔑ろにしてきた政治を転換するということです。この内容は、今日のところは、この後、長友先生の「新自由主義社会から医療介護を守り・・・」という「新春記念講演」がありますから、長友先生に譲りたいと思います。
「憲法に基づく政治」とは、憲法第25条にいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」のことであり、国は「公衆衛生、社会保障の向上」の責務を負うということです。また、多様性を認め、個人の尊厳、ジェンダー平等の社会を実現するということでもあります。

私ども日本共産党は、こうしたケアが大切にされる政治、ジェンダー平等と個人の尊厳が守られる政治の実現目指し、今年こそ、市民と野党共闘の発展で切り開いてきた力を基礎に、野党連合政権をつくるため、全力を尽くす決意です。