12日は、日航機墜落事故から34年
2019年08月13日
12日は、日本の航空史上最悪の乗客乗員520人が犠牲になった日航123便墜落事故から34年になります。1985年8月12日18時56分、羽田空港発大阪行きが、群馬県上野村の高天原山の尾根(通称・御巣鷹山の尾根)に墜落しました。
墜落現場の御巣鷹の尾根がある群馬県上野村では、11日に「灯ろう流し」が行われ、遺族らは事故発生時刻(午後6時56分)が近づく6時45分ごろから「命の重さを伝えたい」「伝えることを誓う」などと手書きされた大小約300の灯ろうを神流川に流しました。(写真は東京新聞より)
参加者は、日航機墜落後も続く事故の根絶を願いました。12日は朝から慰霊登山が行われ、墜落地点に建てられた「昇魂之碑」の前で事故の再発防止を祈願し、午後は麓の「慰霊の園」で追悼慰霊式が開かれました。
私は、交通運輸は「絶対安全」が大前提という立場で、国土交通委員会において追及しました。「絶対安全」は、この御巣鷹山の事故を契機に、当時の日航経営陣も掲げたものです。
ところが、安全よりも「儲け第一」を優先する経営が行われ、そのもとで、整理解雇など労働者が犠牲を強いられてきました。断じて許せません。
私は、服の胸に「JAL不当解雇反対」のバッチを着けています。不当解雇とたたかう日本航空労働者を支える会のみなさんとの連帯の意を表すために着けています。同時に、労働者と労働組合を大事にしない会社は真に空の安全を願う立場に立っていないことは明らかです。事故を風化させない取り組みと労働者と労働組合を大事にする会社を願うことは、一体のものです。決意を新たに固めるものです。