【染織夜話・第七話】

こくたせいこ

布を愛して

作品

 娘が娘を出産した。
 「ばーば」になることに、さまざま無駄な抵抗を試みたりして結構ジタバタしているがそれはさておき、わたしには心の芯(しん)のところに、ホクホクとうれしい思いがある。
 先日付き合いのある「銀屋」の主(あるじ)が、久しぶりに「帯留め」を求めて店を訪ねたわたしに、母親の遺(のこ)した着物をもらってくれと言う。母が亡くなってから着物を着始めていたわたしは、いろいろな方からたくさんの着物や帯を頂くようになっていた。
 主は、古着屋などにも声をかけたが1枚千円だと言われた事などを腹立たしげに話して聞かせた。恐縮するわたしに気を使い、姉妹達が必要なものはもう持ち去ったからと、訪問の予定までも手際良く決めてしまった。
 当日手土産を持って訪れたわたしは、母上が暮していたという二間続きの和室に通された。着物は適当に分類されて積まれていたが、30枚ほどもあったろうか。1枚1枚見せてもらいながら「大切に着させていただきます」と床(とこ)に立てかけられた母上の写真に語りかけた。結局ほとんどを頂くことにした。飛びつきたくなるような帯や着物も含まれていたこの30枚は、新日本婦人の会の着物小組や、その他の着物好き5人に分けた。
 故あって着物の白生地をドレスにするべく染を施したことがある。着物を着ない人なのだが「あまりに素敵な染で服にするのは勿体無(もったいな)い!」と喜んでくれた。着物には斜めに鋏(はさみ)を入れることを躊躇させる「ちから」がある。「銀屋」の主は母親の着物を捨てることも売ることもできなかった。これも着物の持つ「ちから」だとわたしは思う。
 限りなく形態(フォルム)に執着した洋服と違って、日本の歴史と風土を強く反映した着物は、その美を意匠に求めて独自の魅力を創(つく)り出してきた。フォルムに執着した結果として切り刻まれる運命となった布たちが、次の世代に生き残ることは難しい。今日これほどに愛する布たちが健在なのは「きもの」だからである。著書『六十六の暦』で澤地久枝がその魅力の一つとして挙げている「着物の持つしなやかな合理性」は、今日と未来を生きる女達の暮らしと十分に折り合うことが出来る。そして未来の女達はわたしたちが遺した「布」に同じように心寄せるに違いない。
 「ばーば」の愛した着物を孫娘が着てくれるかもしれない。胸の奥に明かりが灯る。

(『女性のひろば』2002年11月号掲載)