【染織夜話・第六話】

こくたせいこ

アンジェリケ

作品

 「アンジェリケ」というのは、淡いピンク色をした八重咲きのチューリップの名前である。フラワーアレンジメントを勉強中の娘に教えられた。
 この花を、幅1メートル、長さ5メートルの絹布に染めようとするとき、先ずその花からイメージされる服のデザインを考える。セミフレアーのやさしいブラウススーツにしよう。その形にはどんな絹布が適しているか、同じシルクでも、その織り様、薄さ柔らかさは様々だ。
 形に適した布を選択した後は色を決める。実際の花はうすいピンクでも、描く時それはブラウンのこともあるし、時にはブルーにもなる。服になるために切り刻まれることを前提にして染めはするが、1メートル×5メートルの平面が当面の私の世界だ。大きな花を、バランスを頭に入れながら勝手気ままに描き終える。
 3人の仕立人は悪戦苦闘しながら「絵」と「空白」を最大限に生かすべく指定されたデザインの服に仕立てるというわけだ。
 もの作りをする人、表現活動をする人々には、伝えたいという押さえがたい「想い」が自らの中に存在することが必要である。そして、優れた感性と磨かれた技によって、その「想い」は絵となり音となり文章となり造形となる。それらは一体のものであり、どれか一つが欠けても優れた芸術とはなり得ない。
 一方に用に供するものがあり、一般に工芸と呼ばれている。それらには更に使い勝手が問われる。そのことによって洗練されてきた歴史がある。しかし、私はすべてに好きか嫌いかで接していて、使い手にはそれが許される。染めて衣服にしようとするとき、そこへ更に使い手に似合うのか似合わないのかという判断が加わる。そしてこれが何よりも厄介である。どれほど好きでも全く似合わないということなどいくらでもある。売ろうとする場合は、寸法はどうかという難題も解決しなければならない。
 年4回の作品展は、日常たった一人の作業を続けている私にとって、たくさんの人たちが私の作る衣服をどのように受け入れているのかを知る、重要な機会となる。そこには様々な女の人生が見え隠れし、ひとつの服が、着る人によって多様に変化する不思議もある。私の服は極めて強い個性をそれ自体が持っているようでありながら、それを身に着ける人によっては、知的にも奔放にも、野暮にもなる。個性は着る人そのものであり、私のもの作りは人が身に着けることによって完成する。
 衣服は自己表現のひとつである。衣服を選択するということは結構恐ろしいことだ、とも言える。
 「春のファッションを」と銘打った大阪での作品展はこの1月で15回を数えたが、今年はこの7〜8年中最低の売り上げとなった。不況のただ中である。高価な絹の衣服などは贅沢の極みで、暮らしの中では真先に切り捨てられる部分なのだろう。
 不況に悩む清水焼業界が、新しい需要を求めて商品開発に取り組み始めたそうだ。「今は芸術性を問うている時期ではない。売れるかどうかが審査基準」というのが業界のコメントである。「着物は不況のときに買うほうが良い。職人がいい仕事をしている」というのは、はるか15年以上も前に聞いた話である。どちらが本当かはわからないが、この不況の中、腕の立つ職人たちは職を失って、何十年の蓄積を棒に振り、その技を伝えるすべも無くした。このような時代は、人々が干からびるだけではなく、文化とその担い手をも消滅させるのだということをしみじみと思う。
 秋田県の「川連(かわつら)塗」が、地元の小学校で給食の器に採用されるという。子どもたちは、自分たちの親や祖父たちが作る軽くてつややかな漆の器で心満ち足りて食事をし、一つ一つ丁寧に作られたものたちを大切に使うことも学ぶだろう。
 この春から、母が遺した日常着の着物を身に着ける暮らしを始めた。深い緑色の紬に、「アンジェリケ」を染めた茶色の塩瀬の帯を締めてみよう。厳しく温かい使い手たちによって職人は育てられ、腕は磨かれ、文化は育まれたのだ。

(月刊『婦人通信』99年7月号掲載)