【染織夜話・第五話】

こくたせいこ

リサイクル

作品

 「リサイクル」に熱心であることは「今風」であることの前提条件のようだ。結構なことである。
 昨今、古布を洋服に仕立てるのが流行(はやり)である。古布は当然着物の古物であり、それを洋服に仕立て直すという寸法だ。箪笥の中で眠ったままだったり、使われて傷みがある場合、こういうやり様は合理的であるのかもしれない。そしてそれは、今流行の「リサイクル」の精神からすれば、受け入れられて当然の風潮なのだろう。
 しかし、わたしにはどうしても馴染めない。着物の世界は、型染めに至るまで手仕事で成り立っている。十二メートルの反物はそのすべてを無駄にすることなく着物として使われる。母が遺した普段着の着物はそれほど高価な物ではないが、少々の手直しをすればわたしのものとして使うことができる。おびただしい洋服も残されていた。が、着ることの出来るものはただの一着も無い。
 わたし自身が創り手であるということも、馴染めない原因の一つだ。洋服というのは斜めに鋏を入れることで成り立っていて、残布が出るのが宿命である。残布の利用は様々にあるに違いないが、小幅の反物が切り刻まれること自体がわたしには痛々しい。
 ペットボトルの「リサイクル」で服を作った自治体の記事が新聞に載った。服を考案したデザイナーも紹介されていた。担当の自治体責任者は十分に価値ある仕事をしたと思っているようすだ。この服は、しかしごく近い将来確実にゴミと化す。ペットボトルをわざわざ服にするとどれほどのメリットがあるのか、わたしにはひどく疑問だ。
 桑の葉のみを餌として育つ蚕が生み出す美しい絹糸によって作られた着物、植物の繊維を糸として織り出される着物、融通無碍の形状がゆえに二代、三代と受け継ぐことの可能な着物は、羽織になり帯になり、ふとんになり小物になってその仕事を終わる。
 物本来の使命を全うすること、し終えた後には土に還るものを作ることこそがリサイクルの真髄ではないだろうか、と思うことしきりである。