【京の職人さん数珠つなぎ】

結髪師

石原哲男さん

石原哲男さん


伝統技術である「結髪」を継承したい

 

お弟子さんの指導京都市東山区の祇園に美容室を構え、芸舞妓の髪を結ってきた石原哲男さん。
 「花街の現役の結髪(けっぱつ)師は、今や京都に5人だけ」と語りました。
 「なんとか、伝統技術である結髪を継承していきたいと」との思いから、日本髪に関する著作や、DVDを作成し、また「日本髪資料館」を開設するなど、苦労して習得した自身の技術をオープンにしてきました。美容を志す学生らの貴重な資料となっています。
 ご自身もたくさんのお弟子さんを育て、現在もお弟子さんが修行中です。「少なくとも10種類の髪型が結えるように。そのためには3年から5年必要です」とお弟子さんに暖かいまなざしをそそぐ石原さん。いつ厳しい表情になるのかと感心します。

美にあこがれ、男子禁制の世界で修行

石原さんは30代で女性ばかりの結髪師の世界に飛び込みました。
 しかし「男子禁制」の世界です。それでも、苦労を重ねて修行。そして、1974年に、洋髪の美容室「やまと」を祇園は縄手の大和橋のたもとに開業。技が認められ、祇園や先斗町のお茶屋から芸舞妓の髪結いを任されるように。
日本髪資料館(ミニ鬘) 「舞芸妓の美の世界に魅了されて」と述懐する石原さん。
 「日本髪は、直毛の黒髪の美しさを最大限に生かすために発展してきました。
 この伝統美である日本髪を、京都の景観や、西陣・友禅、そして帯留めなどの伝統産業とともに総合的に守っていきたい」との思いが石原さんの原点です。

日本髪資料館には、115種類の日本髪のミニチュアの鬘を展示しています。「これ以外にも、まだ多数の種類がありますが、展示してある物と少ししか違わないので省略したり、資料が少なくて確証のない物は展示していません」とのこと。時代考証をふまえての貴重な資料です。

左右対称と曲線美が日本髪のエッセンス

その資料を拝見しながら、「日本髪とは」と伺いました。
 即座に「日本髪には数え切れないほどの種類がありますが、すべてに共通する特徴があります。それは、直毛の黒髪という「日本人の髪」の特徴を最大限生かすために、左右対称であることと曲線美を生かしていると言うことです。これが日本髪のエッセンスです」との答え。

紅先笄での実際の髪型実際に本物の髪型を拝見しました。モデルは、宮崎県から来られた中村洋美さん。
 結髪は石原さんのお弟子の中川実紗希さん。髪型は「おふく」とのこと。
 中村さんは、「最初は一度だけのつもりでしたが、自分の髪で日本髪が結われ、自分自身が芸術作品になったような感動を覚えました。いまでは年に何度もこの『紅先笄(くれないさっこう)』をたずねています」と話してくれました。
 ちなみに「先笄」とは、舞妓さんが芸妓さんになる前の二週間だけの髪型とのことでした。

日本髪は5つのパーツでつくられる

そして、多様な種類でありながら、「日本髪は5つのパーツからできています」との基本は共通点しているそうで、@すべての毛をまとめ、支えている「根(ね)」、A襟足の部分にあたる「髱(上方では「つと」、江戸では「たぼ))」、B両サイドの「鬢(びん)」、C額の上の「前髪」、D1〜4をまとめた毛で作られた「髷(まげ)」がその5つのパーツです。
 現代人が思い浮かべる「髷」といえば力士の大銀杏(おおいちょう)を思い浮かべますが、「基本は同じ」とのこと。
 「長い黒髪を束ねる程度であった女性の髪型ですが、遊女が、男性の髷を真似て飾り立てることから、狭い意味での日本髪がスタート。それが桃山時代。そして江戸時代に鎖国されたことで日本独自の発展をし、とりわけ平和な時代を迎えて日本髪が、文字通り花開いたと思います」とのことです。

その5つのパーツにそれぞれ特徴を持たせることで多様な髪型になるそうですが、「髷(まげ)」の処理の仕方によって、基本となる4つの髪型が決まる」そうです。
髪型のイラスト それは、「兵庫」、「島田」、「勝山」、「笄」です。イラストをご覧ください(「日本の良いもの・美しいもの」から)。「兵庫」は、髷が上に伸び、「勝山」は丸め込んで後ろに伸びる。文金高島田で有名な「島田」は丸め込んで中央で縛り、前に伸びるイメージです。「先笄」は、「笄(こうがい)」に髪を巻き付けて髷をつくります。

江戸時代の多様な発展を支えたカリスマ美容師

「江戸時代は、当然、公家、武家、商家の女性は日本髪で生活していました。武家での行儀見習いで、庶民にも結髪の技術が普及していたので、日本全体に日本髪文化が広く存在していた。その中でも、その文化の担い手が花街の結髪師」とのこと、「日本髪を多様に花開かせた原動力。いまで言うカリスマ美容師として、着物・装飾品とともに総合的に髪型をコーディネイトして、髪型を進化させてきたのではないかと思う」と石原さん。
 「例えば、江戸小紋と京の友禅では、似合う髪型も微妙に違い、その美意識が土地ごとの髪型の違いを生んできた」と。総合的で繊細な感覚の求められる世界です。
 「私も、総合的な美を目指して、かんざしなど装飾品から足袋まで、舞妓さんを支援してきました。きっちりした装飾品などは誂えるのが困難になり、海外に流出している状況で、なんとか確保できないかと苦心しています」と。著作「日本髪の世界」などで、日本髪とともに装飾品も多数紹介しています。

この文化と技術が継承されるように

「この資料館の資料が散逸しないように、価値を理解して保存していただける場所を、まず確保したい。この間もいろいろお世話になりましたが、引き続きこくたさんにお願いしたい」との石原さんの要請に応え、日本髪の伝統を守りたいと決意を新たにしました。

[2013年5月]