こくた恵二
こくたが駆く

国政選挙初挑戦の時の候補者リーフを発見!

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 こうやって見比べれば、だいぶ顔も変わってきたことがわかりますなぁ。

photo 私は、中選挙区制度の時代の1993年に初当選をしているが、今回の選挙にあたって、過去の選挙の資料を引っ張り出したところ、私の国政初挑戦のときに作成した候補者リーフが見つかった。
 ホームページのプロフィール欄が「基本的な経歴しか書いていないので素っ気ない」との意見をいただいていたこともあり、今回このページ上で再掲載させていただくこととする。

 *文書・写真などは当時のものをそのまま掲載してます。

革新の伝統うけつぎ、

いま国政にはばたく


こくた恵二のあゆみ(再録)

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たたかう人たちのやさしさにふれて
 こくたさんは1947年、岩手県に生まれました。中学生のとき、お父さんの職場・岩手銀行では、60年安保をたたかった組合への分裂攻撃が激しくなっていました。弁当や、差し入れを届けていたこくた少年は、人間の尊厳をかけてたたかう人々のたくましさと、やさしさにふれ「お父さんのようになりたい」と思うようになりました。

啄木の足跡訪ねるバンカラ少年
 進学した県立盛岡一高は、石川啄木や宮沢賢治の母校でもあります。啄木の本をてに、彼の足跡を尋ねたり、学校の帰りには特性のいすを用意して待っていてくれるほど足しげく書店に通い「チボー家の人々」など、多くの本を読み通しました。 こくた少年は、大学で文学を学ぼうと考えました。

photo命かけて「わだつみ像まもれ」
 1965年入学した立命館大学では、暴力学生が自治会を私物化していました。こくたさんは、自治会を全学生の手に取り戻すため先頭に立って活動。
 民主化が実現し、学友会の副委員長になりました。戦前「侵略戦争反対」「主権在民」をかかげ、たたかいぬいたとうがあったことに感動し、同年、日本共産党に入党しました。

「困ったとき、すぐきてくれはる議員さんやった」
 党の要請にこたえ、こくたさんは、立命館大学職員を退職し、党北地区委員会に16年間勤務。87年に京都市会議員に当選。
 1期目ながら、本会議での発言回数も17回に上り、議員中トップ。内容もハイテク、情報公開から路地裏まであらゆる分野にわたり、調査と研究を積み上げた質問で、市議会の論戦をリード。困っている人がいるとすぐにとんでいく行動力と人情味は、広く知られるところです。

photo子どもにかえって遊ぶお父さん
 大学での運動をつうじて知りあった誠子夫人との間に、一女二男をもうけました。 日本共産党の仕事は、夜遅くなりがちですが、早起きに心がけ、朝食は家族そろって取り、子どもとどちらが親かわからないほどよく遊びます。
 おこるときも遊ぶときも本気になってぶつかるお父さんなのです。

photo 革新京都の新しい顔として
 京都の顔といわれた谷口善太郎さん、河田賢治さん。そのあとをうけた梅田勝さん、藤原ひろ子さん。政治革新を願う日本中の人々を励ましつづけた革新の伝統いきづく京都1区の議席を何としても回復するため、今日もフレッシュパワーでがんばっています。

(Update : 2005/08/10)