こくた恵二
こくたが駆く

「人権擁護法案」について――市民の言論規制する危険

 政府が今国会に再提出を予定している人権擁護法案について、世論の批判が高まっている。私のところにも、連日のように反対を訴える電子メールが届いていて、この問題の関心の高さを伺える。同時に頼もしい限りだ。
 皆さんのメールに感謝しつつ、私の考える点を表明する。

 日本共産党は、そもそもこの法案が憲法21条で保障された国民の言論・表現の自由を脅かす根本的な問題・欠陥を持っている法案であることから、この法案に反対し、国民的合意ができる人権救済の仕組みをつくるため議論を根本からやり直すべきだと主張している。
 また、今国会に提出されている政府案は、そのほかにも様々な問題点がある。

 恣意的な運用の恐れ 
 法案では、法務省の外局につくられる人権委員会が、不当な差別や虐待など人権侵害の救済に当たるという。
 官庁や企業による不当な差別的取り扱いを規制するのは当然だが、市民の間の言論表現活動も規制の対象になるという。何を差別的とするかの判断は裁判などで意見が分かれる微妙な問題であり、恣意的な運用で、人権委員会による市民の言動への監視・市民生活への介入が懸念される。
 「差別」を口実にした市民生活への介入といえば、かつての「解同(部落解放同盟)」による、一方的な「差別的表現」との断定や集団的つるし上げ「確認・糾弾闘争」を思い出す。教育現場での混乱、校長の自殺など痛ましい事件も起きた。現在でも、この「糾弾闘争」は続いており、今回の法案が「解同」の運動に悪用されれば「人権擁護法」によって、人権侵害の「確認・糾弾闘争」が行われるという皮肉な結果になりかねない。
 また、報道機関への「差別」を口実にした出版・報道の事前差し止めなど、メディアへの介入・規制の危険もある。出版の自由への法による規制は、到底認められない。
 人権委員会が法務省の外局となっているが、これでは同省の管轄化にある刑務所などの人権侵害は救済されない。

 こんな法案は国会に提出すべきではない。国民的な合意ができる人権救済の仕組みをつくるため、議論を根本からやり直すべきだ。

(Update : 2005/06/27)