こくた恵二
こくたが駆く

京都を文字通り駆ける

photo 高島屋前でおこなわれていた『近畿地区シベリア抑留者未払い賃金要求の会』の皆さんの宣伝行動を訪問・激励しました。
 シベリア抑留者未払い賃金問題とは、敗戦直後、旧ソ連に連行され、収容所で強制労働させられた多数の旧日本兵が要求しているものです。
 今日は、先月21日に大阪府議会でこの問題の解決を求める意見書が全会一致で採決されたことを受けて、『京都府議会でもぜひ』ということで、京都の一番の繁華街での宣伝署名活動とのこと。
 わたしも、署名させていただきました。日本政府はただちに検討し、支払い要求に応えるべきです。

photo 午後からは、リーガロイヤルホテルでおこなわれた『三菱重工の不当差別反対連絡会』の勝利解決報告集会に参加。
 わたしは、「職場に自由と笑いを」のスローガンで創意を生かした取り組みを行ってきたこと、13年にわたる差別是正運動の結果、実質的に会社に差別の存在を認めさせ解決金支払いをさせることができたことは、職場の民主主義の問題で、おおきく前進させたことであって、日本の労働者全体への大いなる励ましになるとのべ、「21世紀ルールなき資本主義をただす」「職場に憲法を」という新たな闘いでの前進をともにかちとろうと、敬意と感謝の言葉を贈りました。

 リーガロイヤルホテルから、清水寺へ。観光シーズンのため五条通りは大渋滞です。
 清水寺でおこなわれたアテルイ・モレの法要に参加しました。
 アテルイ・モレ(阿弖流為・母禮)とは、東北地方の蝦夷をひきいて、坂上田村麻呂の率いる律令政府軍とたたかい802年に処刑された人物で、東北の英雄です。坂上田村麻呂も、東北地方の安定にとって、アテルイとモレの力を借りるべきとの考えをもっていましたが時の桓武天皇から処刑をされ、初代征夷大将軍として有名になった田村麻呂とは対照的に、ほとんど知られていなかったのです。
 郷土の歴史を掘り起こし、アテルイ・モレの功績をたたえるべきだ運動をされた水沢(私の生まれ故郷)の方々が、何とかできないかと私に相談があったわけです。
 阿弖流為、母禮と闘った坂上田村麻呂が創建した清水寺に、顕彰する碑を建てようと動き出したわけです。
 その際に岩手に所縁の清水寺の福岡精道師(故人)と当時親交のあった大西真興師に直接私がお願いに行ったのです。(そのときの苦労話もいずれお話できるでしょう)
 今年はその「アテルイ・モレの碑」が建碑10周年ということで。岩手県水沢市からも代表がおみえになって、鹿踊り(ししおどり)を披露され、法要をとりおこなったのです。(法要をいとなむ森清範貫主)
 アテルイ・モレについては、当ホームページにおいて、詳しく紹介する機会をつくりたいと考えています。(しばしお待ちを)

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(Update : 2004/11/06)