こくた恵二
こくた恵二のこだわりエッセー

こくた恵二の着流しエッセー(第1回) 広告塔

実際には5月に発表されていましたが、掲載しそこなっていたので第2回と一緒にあらためて掲載させていただきました。遅くなってかんにん!

 「よう似合うてはります」「着慣れてますね」などと、和服を着ているときに言われるようになり、内心とても喜んでいる。

 年に20〜30日は着物を着るようになった。

 きっかけは、西陣の業界の親しい人から「京都の代表でしょ、西陣のお召しの一つも持ってな格好悪いですよ」と指摘されたことからだ。

「私が一つつくってさしあげましょう」との申し出を受け、「私らの広告塔です」からと説得され、着用するようになった。以来テレビ討論や国会対策委員長会談にも着用するようになり、着物議員連盟の一員となった。

おかげで西陣はもちろん、京・鹿の子絞りや友禅の団体とも少しづつ親しくなってきた。また京都の伝統産業を愛する一人として、伝産に従事する多くの方々から知己を得るようになってきた。

機会さえあれば着用する、回数が増えると“着慣れて”くる。着慣れると“様になる”というわけだ。

このようにしょっちゅう着用するようになったのは、四年ほど前から自分で袴を穿(は)けるようになったからである。

そのうえ、西陣の代表者から、「こくたさんは、金田一耕助(横溝正史の推理小説の主人)みたいに書生っぽく着たら似合いまっせ」などとおだてられ、一層拍車がかかった。

私の連れ合いは「ろうけつ染め」の仕事していることもあり、染の関係者の知り合いも多い。そういう方面からも「何というても、着てもらうことが一番です」と喜ばれ繋がりを深めている。

やっぱり“着倒れの町”だけあって、京都の人々の箪笥には少なくない着物があるもの。「亡くなった主人の着物やけど」「祖父のものやけど」と譲っていただいた大切な着物を、着用しないでは義理が廃(すた)る。

洋服と異なり着物の場合、寸法の違いは少々あっても洗い張りして仕立て直せば、充分に着用できる。そのご家族の想いも頂戴して闊歩しているのである。

吉祥院後援会ニュース「ねぎぼうず」5月号

(Update : 2005/08/21)